田阪晃司店長の気まぐれdiary【2022年3月編】
☆ サラリーマン時代を振り返って Ⅳ ~ハワイでのパーティー④~【3月26日投稿】
100名以上になると、当日にオプショナルツアーの受付など到底無理なので
出発前に人気のあるコースをセレクトしておき、事前にご予約の集約をしておきますが
その作業も本当に大変でした。JTBハワイと連絡を密にして人数の追加や取り消しなど細かな調整は
神経がすり減ります。しかしハワイといえばオプショナルツアーが稼ぎの柱でもあるので少しでも
参加して頂く努力をしていたと思います。
そして最終日の夜のパーティーを迎えます。
一通りの挨拶関係が終わり、招待されている顧客の方の表彰関係が滞りなく進みます。
しばし歓談があり、いよいよアトラクションの時間になりました。
迫力満点のファイヤーダンスが終了し、次はフラダンスになります。
そして何故か私もフラダンスチームに混ざって舞台袖で一緒に待機していました(笑)。次週に。
☆ サラリーマン時代を振り返って Ⅳ ~ハワイでのパーティー③~【3月19日投稿】
添乗員は120名規模だと3~4名の人員で添乗します。
その招待旅行は私がチーフで上司がサブチーフ、アシストに2名で同行したと思います。
通常の小規模団体とは比べ物にならないくらい大変で、とにかく節目節目の行動時に
集合スペースを見つけ確保し、段取りよく話を進めていかないといけない所です。
基本、ご参加者は羽を伸ばしに参加されているので、あまり話を聞かれない方もおられ
大人数だと余計に話し方や話すペースを考えていました。
ハワイの日程は、皆様もご存知だと思いますが、到着日に簡単な観光とショッピング(免税店)をして
ホテルに到着。2日目以降は、基本オプショナルツアーにご参加される方、ゴルフをされる方、
自由にご自身で楽しまれる方と様々です。
添乗員はホテルに専用のデスクを設置し、何かあった時の対応がすぐにできるよう必ず1~2名待機しています。
続きは次週に。
☆ サラリーマン時代を振り返って Ⅳ ~ハワイでのパーティー➁~【3月12日投稿】
プレゼンテーションは上司に同行して頂きました。
当時のJTBの強みは海外でのサポート体制が充実しており、特にハワイではJTB専用のトロリーバスが
常時走行していて乗り放題というのは有利でした。
最大の勝負所は、最終日のバンケットルームでのパーティーで何をご提案できるかでした。
ポリネシアン文化センターで行われているファイヤーダンスやフラダンスをショーとして
パーティーの中盤で組み込むのですが、上司がそこでアドリブで
『ダンスショーの時に田阪が☆☆で○○して場を盛り上げます』と提案します。
なんちゅう事を言うのかと思いましたが、自分も何としてもこの招待旅行をさせて頂きたかったので
「任せてください。昔から○○はやりたかったので盛り上げます」と勢いで返事を致しました。
結果的にこのとんでもない提案が功を奏し、K社からハワイ120名を奪取できました。
☆☆と○○については後に言います(笑)。
やはり招待旅行の難しいところは、主催者の美容品卸会社はもちろんですが、そのオーガナイザーの
大事なお客様に対しても最大限のおもてなしができないと次回から入札にはお呼びがかからなくなるところです。
続きは次週に。
☆ サラリーマン時代を振り返って Ⅳ ~ハワイでのパーティー①~【3月5日投稿】
昨年の6月以来のサラリーマン時代を振り返ってシリーズです。生徒様からの続編のご要望もあり
4回目を書きます。25年程前の事なので時代背景がかなり違いますがご了承願います。
私は8年間、JTBに勤めており海外旅行1課(団体旅行課)で6年間勤務していました。
今回はライバル会社・K社の顧客だった美容品卸会社の話です。
その会社がお得意様を招待する招待旅行があると情報をきき、1年程営業で通いつめ
今度の招待旅行はハワイにするとの話を伺い、入札参加までこぎつけました。
招待客・卸会社社員含め120名程のハワイ旅行という事で、何とかK社から奪取し
自社の顧客にさせて頂きたいという強い気持ちをもって、企画書から気合を込めて
作りこんだ記憶があります。日々23時頃まで仕事をしていましたが、企画書作成が立て込んでくると
連日当たり前のように日をまたいでいました。
いよいよ提出です。次週へ。