田阪晃司店長の気まぐれdiary(2,020年12月編)
☆高校時代を振り返って④【12月27日投稿】
当時の私は体力には自信がありました。
東山卓球部のランニングメニュー・銀閣寺ランニング(略して銀ラン)でも
部員間でも負けた記憶がほとんどなく、基礎的な体力は決して負けていませんでした。
(中学生時には通っていた中学校の代表で駅伝チームに卓球部から異例の抜擢をされ、
アンカーを務めるなど足には自信がありました)
また、左右の1本づつのフットワーク練習は現在では、フォアとミドルが主ですが昔は
フォアとバックの広範囲をフォアハンドのみで20分~30分ぶっ続けで毎日やっていたと
思います。特に練習メニューできついとは思いませんでした。
体力は強かったですが、肝心の卓球が弱かった(笑)。
何がきつかったかというと、やはりメンタルでした。次回に。
※東山高校卓球部に関する最近の記事 https://rallys.online/person/higashiyamattc01/
☆高校時代を振り返って③【12月20日投稿】
あくまでも34~36年前の当時の話になります。
強い選手、実績のある選手があらゆる面で優遇されるのは強豪校では当たり前の世界ですし、
その事で文句などありませんでした。愚痴を言う暇があれば自分で努力し、実績を上げて
先生に認めてもらえればいいので。
むしろ、名門校の看板を背負ってプレッシャーの中、懸命に戦っているレギュラーを
誇りに思いますし、そういうメンバーと時間を共に過ごし、どうすれば強くなれるのかを
この目でしっかりと見れたことは年月が経ちますが今も財産になっています。
ただ、練習時は厳しかったし辛かった。次回に。
☆高校時代を振り返って②【12月13日投稿】
当時の東山高校は名将・今井良春先生の元、男子高校卓球界では常に全国的にも
上位に入っていました。
東の熊谷商業高校(埼玉県)・西の東山の時代でした。
団体戦では、自分が高校1年時インターハイ3位・高校2年時インターハイ2位
高校3年時インターハイ2位というすばらしい戦績でした。
但し、私は当然レギュラーではなく3年間・2軍選手として過ごしました。
同期は8人おり、中学時では全中2位・全中5位・全中16・全中団体2位の主力メンバーなど
そうそうたるメンバーの中での3年間でした(全中=全国中学校卓球大会)。
次回は2軍選手の視点できつかった3年間を振り返ります。
☆高校時代を振り返って➀【12月6日投稿】
高校1年(1,986年)
私は卓球界では名門校中の名門校、京都の東山高校卓球部に入部致しました。
中学でも全国的な実績もなく正直躊躇しまくっていましたが、最後はやはり親父からの薦めで
ある意味地獄への扉を開けて入る事を決意します。
当時、4月に入部する直前の東山高校は3月の全国高校選抜卓球大会で優勝し、全国1位という
輝かしい実績を持っていて、レギュラーメンバーの先輩方も当時の高校界のスーパースター
ばかりで、学校の練習場に足を入れるだけでもびびりまくっていました(笑)。次回へ。