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お知らせ

田阪晃司店長の気まぐれdiary【2022年11月編】

☆ 通風物語・・・④【11月26日投稿】

激痛が走り自分の力ではどうする事もできず、後輩を呼び出しました。

担いでもらって後輩の車で病院まで運んでもらい、激痛の足に痛み止め?の注射を打たれ

痛みを通り越して、はっきり言って白目を向きながらほとんど気を失っていました(笑)。

恐かったのは次の日の上司の一言です。

処方箋の痛み止めの飲み薬も頂いたのですが、1日では痛みは消えず足を引きずりながら自転車に乗って

出社し通風を発症したことを話すと、

上司が一言『出社できるんやったら営業も回れるな』     私『・・・・・』

まぁ色々な意味でこの会社には鍛えられました。

最終的には自己管理ができていない自分が悪いという雰囲気で会社は守ってくれません。

皆様  自分の健康は自分で守ってください!

痛風物語はまだまだ山ほどありますが、一旦終わります。

 

 

☆ 通風物語・・・③【11月19日投稿】

夜食については、それこそ退社時間が22時とか23時でしたので、営業しているお店となれば

居酒屋かココ壱番屋かラーメン屋でした(笑)。

遅い時間帯から先輩や同僚とまずはビールを飲んで、焼き鳥・刺身・から揚げなど定番居酒屋メニューを

週3日4日は食べていたと思います。

また、退社までにも当然お腹はすくので会社前のパン屋でパンを買い出しに行きデスクで食べてました。

本当に痛風になるべくしてなってしまうような食生活でした。

そんな食生活がたたり体が悲鳴を上げたのは入社6年目ぐらいだったと思います。

その日は休日でした。足の親指の関節が気を失うぐらい痛みが走りました。

当時は痛風とは知らなかったので釘でも足に刺さったのかなと思っていたのですが、

足の親指を見ると表現できないくらい関節が腫れあがっていて、読んで字のごとく

じっとしていても痛く、そよ風が当たっても激痛が全身を覆うくらいの痛みでした。次週へ。

 

 

☆ 通風物語・・・➁【11月12日投稿】

食生活は悲惨でした。

今から考えると20代だからこそ持ちこたえられたのかなと思います。

まず朝食ですが、食べません。というかそんな時間があるなら寝る時間にあてていました。

会社まで自転車で5分の所に住んでいましたので、8時過ぎまで寝て、

シャワーを浴びて身だしなみを整えたら出社していました。

余程お腹がすいていた時は、朝礼後営業に出かけた時に真っ先に『なか卯』に入って定食をほおばっていました(笑)。

昼食は、それこそアポイントの都合で時間はバラバラで、アポが詰まっている時は営業車の車中にて

マクドナルドやコンビニでサンドイッチ・おにぎりを食べながら運転していました。

多くは営業先近くの定食屋かラーメン屋で、社内仕事の時は会社近くの中華料理が多かったです。

夜食がまたひどかった・・・次週へ。

 

 

☆ 通風物語・・・➀【11月5日投稿】

私は痛風という病気を25年程前に発症しました。

現在は痛みの発作の回数や尿酸値の数値は大幅に改善されていますが、現在も薬を飲んでいます。

では何で通風を患ったか。

皆様がこんな厄介な病気にならないように経験談を語りたいと思います。

さかのぼる事25年前、私は旅行会社に勤めるサラリーマンでした。

サラリーマン時代を振り返ってシリーズを読んで頂くとご理解いただけるかと思いますが、

毎日朝の9時~23時頃までの勤務と休日は添乗業務や休日出勤の日々でしたので、特に食生活は無茶苦茶でした。

岡山支店に8年程おりましたが、一人暮らしでしたので、帰宅後自炊する気力など全くなく

取り敢えず自宅には寝に帰るのみという生活がほとんどでした。

ではどういった食生活を送っていたか・・・次週へ。

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