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お知らせ

田阪晃司店長の気まぐれdiary(2,020年5月編)

☆サラリーマン時代を振り返って⑦【5月31日投稿】

前回の続きです。社会人2年目で営業マンとして徐々に結果が出始めた矢先、海外団体手配への

ジョブローテーションを命じられ正直ショックでした。やっとお客様に信頼を得始めてきた時

だったので、たった1年で自分の顧客を引き継がなければならないもどかしさがありました。

何故、ジョブローテーションになったのか?

それは岡山県が中国(上海)との定期便就航に向けて動き出し、交渉するにあたってまずは

需要があるかどうかの実績を作らなければなりませんでした

(前にも述べましたが私はサラリーマン8年間のうち7年間は岡山支店勤務でした)。

そこで私に命じられたのは、岡山ー上海間でプログラムチャーター便(合計26便)を飛ばし

搭乗率の実績を上げ,定期便就航を目指すというめちゃくちゃ大事なプロジェクトを任されて

しまったわけです(中国東方航空:MU)。

結論から言うと現在も岡山―上海間は定期便として運航されているので、プログラムチャーター

が大成功した結果なのですが、そこまでの26便ものチャーター便の搭乗率をいかに上げていくか

の苦労はめっちゃくちゃ大変でした。続きはまたの機会に。

 

 

☆サラリーマン時代を振り返って⑥【5月24日投稿】

サラリーマン時代を振り返ってシリーズはこのままいったらあと半年くらい続きそうなんですが、一旦どこかで止めようと

思います(笑)。それ程8年間の中身が濃すぎました。

2年目から営業マンとして頑張っていました。先輩からの引継ぎ顧客もあまりなく、新規顧客獲得の為、飛び込みセールスを

1日20件~30件位中小企業などを中心に飛び込んでいました。名刺交換をして頂いた総務部の管理職の方には営業から

帰ったらその日のうちにお礼の電話をして次のアポイントに結び付けていた事を思い出します。

そんな中でも自分なりに頑張っていた成果も多少あり、他社からある企業の職場旅行(100名規模のシンガポール旅行)を

奪取する事に成功し、営業結果が出始めた3年目を迎える矢先、自分は営業から海外団体手配グループへジョブローテーションを

命じられます。何故そうなったか、続きは次回に。

 

 

☆サラリーマン時代を振り返って⑤【5月17日投稿】

前回の続きです。1年目は海外旅行課の個人旅行部に配属され、主に海外のパッケージ旅行や個人旅行を扱うところにいました。

1年目なので、いきなり店頭でお客様のご相談とかではなく、裏方で電話の対応や、海外渡航にてVISAが必要な場合には

そのVISA申請に必要な書類を作成したり、パッケージツアーのセットアップなどとにかく海外旅行に必要な基礎的な仕事を

徹底的にしていました。また、その時の女性リーダーが怖かった(笑)。本当に厳しかった。

2年目になり、今度は海外旅行課の団体旅行部に異動しました。本格的に営業マンとして企業や市町村役場などを周り、

職場旅行や視察旅行、インセンティブ旅行などを獲得しに、また時にはこちらで仕掛けた旅行企画を地元の商店街連合会等に

提案したりと、日々営業活動に没頭する毎日でした。続きは次回に。

 

☆サラリーマン時代を振り返って④【5月10日投稿】

前回の続きです。人はそれぞれ会社で働き続ける理由や退職する理由があると思います。自分の場合、苦しみもがきながらでも8年間続けられたのは先輩社員や同僚、後輩社員との人間関係がおもしろかった(何故自分が退職したのかは別の機会で話します)。

毎日平均22時頃まで仕事をしていましたが、定時の18時を過ぎたら、アホな会話で盛り上がったり、将来の事を楽しく話し合ったり、この企業の職場旅行を落札するために知恵を絞りあって話し合ったり。

早く帰って自分の時間をと思われる方が多いと思いますが、自分にとっては楽しい時間でした。この時のメンバーとは退職して、20年経ちますが、未だに1年に1回集まってお酒を飲みながら、現況と思い出話で盛り上がります。※集まるメンバーは8割転職していますが(笑)。

次回以降は、思い出に残った仕事や添乗中のハプニングなどについて話します。

 

 

☆サラリーマン時代を振り返って③【5月3日投稿】

前回の続きです。その当時の上司(課長)の口癖は、

『もう、会社辞めたら?お前が会社辞めてもいくらでも変わりがおるんやぞ』でした。

前回お話しましたその日はメガネがぶっ飛ぶビンタをくらってからそのセリフを言われ一旦自分の席に戻りましたが、

さすがに自分の中でもここまで仕打ちを受ける事に納得がいかず、2~3分後席を立ち上司のデスクに向かいました。

上司が向かってきた自分に、『何や?』と言った瞬間やったと思います。自分は上司のデスクの横に置いたあったゴミ箱を

力一杯蹴り上げて言いました。

「俺を辞めさせる権限をもっているのは社長だけや!お前に言われたぐらいで辞めるか!」

と周りがシーンとなるのが分かるくらい、上司に向かってバカでかい声で暴言を吐いたのを覚えています。

すると上司は『その位の気迫があればこの先の厳しい営業活動もやっていけるな』と返されました。

何かめちゃくちゃ腹は立っているけど、自分を奮い立たせようと上司なりに考えていた事なのか複雑な心境だったのを

25年程前の出来事ですが記憶に残っています。ただやはり暴力はダメやと思います。

何故そこまでの職場環境で8年も仕事ができたのか、また次回に。

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